ゆるくいろいろ

言語化の練習 音楽とかアニメとか翻訳とか

気持ち悪い気持ち良さ

数日前、美容院帰りに見た情景が忘れられないのでメモ。忘れられないと言っておきながらすぐにも忘れそうなので。

 

美容院で綺麗に髪を切って染めてもらったので浮き浮き気分で駅のホームへ繋がる階段を登ってたら、登ってすぐのところに子供が2人。抱き合ってたので「遊んでるのかな〜」と思いながらホームに着いたらなんと2人とも泣いていた。

最初は1人の泣き顔しか見えなかったから、その子が怪我でもしてもう1人の子に慰めてもらってるのかな、って思ったけどさりげなく後ろに回ってみたらもう1人も泣いていた。

 

ここまでの予想とか想像を数秒で勝手にしてしまうんだから、人間の脳はすごいな〜と謎に感心。でもどうしても気になってずっとチラチラ子供達を見てしまう野次馬精神はどうかと思う。

 

結構シリアスな雰囲気だったので心配していたら、その子たちのすぐ側に親らしき人物を数人発見。男と女が2人ずつ居たので、家族同士で会って遊んでたのかなあ。親たちは子供にあまり興味が無さそうで、ずっと喋ってた。

もうすぐ電車が来るというタイミングで親が最後に子供たちの写真を撮って、1人の子とその家族が私と同じ電車に乗った。電車に乗るまで2人の子供はずっと泣きっぱなしだったし、乗ったあともホームに立っていたもう1人はずっと電車の2階を見つめてた。私は下の階に座っていたけどその子を見て一緒に乗った子は上に座ってるんだな、と理解した。

電車の外に居た子供は発車するまでずっと車両の上のほうを見つめたままで、ゆっくり動き出した時に最後に手を振ってた。そのあとその子のお父さんが腕を引いて階段を降りようとするけど彼女はその手をはたいて激しく頭を横に振った。

 

私が見たのはここまででした。あんなに泣きながら必死に抱き合う子供を見たことがなかったからか、自分にとってかなり衝撃的な景色だと感じた。あの9、10才くらいの子供たちがすごく大人に見えた。「あの感情、私も知ってるやつだ」と思った。

その子たちを見ていたらなんだかすごく悲しくなって泣きそうになった。勝手に野次馬根性を発揮させて勝手にダメージを受けた自分が気持ち悪い。でも気持ちいいダメージだったので良しとしよう、と更に気持ち悪いことを思ってしまった自分は…。

 

他人の泣き顔を見てその悲しみを追体験したときの快感とは。そういう役者を泣かせて視聴者を泣かせようという魂胆が見え見えのドラマがかなり苦手なので、その類のものは絶対に観ないけど、勝手にしんみりしたときの「もっとこれに浸っていたい」感はたしかに存在するよね。

 

今日の帰り道にもおばあちゃんを助ける青年を見かけ、ほっこりした訳ですが。これとドラマのあれはまた違う感情なのかも知れないけど、なんで私はほっこりしたんだろう。なんで私は悲しくなったんだろう。なんで人間はこんなにも共感性が高いんだろう。優しさとは、心とは、人とは、という具合に頭の中で宇宙が広がった。気持ち悪い。もしかして私って自分のこと気持ち悪いと思ってる?

 

まあ、あの宇宙が消えることはまだ無さそうだし、その中の数々の疑問に対して急いで答えを見つける必要も無いと思うので、一旦保留に。

多分私の中の一旦保留ストックがすごいことになってる。

 

とにかく、子供は私たちが思っているよりも色々考えたり、感じたりしている、ということを忘れずに居たい。私も子供の頃「なんでこんなに馬鹿にされるんだ、真面目に話を聴いてくれないんだ」、と腹を立てていたのかもしれない。そうじゃなかったとしても、私は全子供たちを尊敬したいしありがとうと言いたい。

 

髪の毛は人生初黒染めをしていただきました。お赤飯、いや、お黒飯を炊きたいほどには気に入っています。地毛よりもかなり黒いので不思議な気分。エモでグランジーな気分。マイケミが聴きたい気分。