ゆるくいろいろ

少し丁寧なメモ

サリンジャー エスキモーとの戦争前夜

ナイン・ストーリーズの2話目、「コネチカットのアンクル・ウィギリ―」の感想は飛ばします。外に居たせいか、あまり集中できなかったのでもう一度読み返したい。

私は少しでも雑音があると気が散って全然読めないことを思い出した。元々ほとんど本を読まないから、こうして久しぶりに何か読んだときに色んな感覚を思い出したり発見したりできるのが楽しい。

 

エスキモーとの戦争前夜」は第2話同様、対話が多い。けど2話目ほど明確ではなく、全体の雰囲気は「バナナフィッシュ日和」に似ているな、と感じた。対話が多い話は昔からあまり好きじゃなかった。ドイツ語の授業で読んだ本のほとんどがダイアログ形式のものだったからかな。淡々としすぎてて読者がいろんな解釈ができるための余白がほとんど残されていないじゃんって思ってた。

けどそれはただ単に私がちゃんと読んでいなかっただけなんだ、とサリンジャーに触れて気付く。何気ない会話がなんだかすごく綺麗で、面白い。アンクル・ウィギリーを読んだときも思ったけど、あんなに自然にたくさん喋れたらな~。スモールトーク、というか、スモールじゃないトークにすら苦戦している私にとってあの技術は羨ましい限りである。

 

冒頭のジニーとセリーナがちょっとした言い合いをするシーン、好きだなあ。セリーナはなんか「やな奴」だなって読みながら思ってたけど、高校生?だっけ、ってみんな大体あんな感じだよな、とまた何となく何かの記憶が蘇った。たぶん私もやな奴だったんだろうな。ただ、私は家族以外の人間とは喧嘩も、ジニーたちみたいな言い合いもしたことがないので、そのことを思い出すたびに少し落ち込む。他人とちゃんと感情と考えをぶつけ合うことって大切だよね、きっと。そういう争いを面倒くさがって今まで避けてきた私はただの怖がりなのかもしれない。

 

ジニーは最初はセリーナから絶対にお金を返してもらう予定だったのに、彼女の家でフランクリンとエリックに出会ってなぜか気が変わったのだ。その理由というかきっかけはよく分からないけど、結局ジニーは優しい子なのかな、と思った。優しいっていう言葉は的確ではないかも知れない。最後に語られるひよこのことや、サンドイッチを捨てられなかったことを知って、ジニーはお金をもらうよりもセリーナとまた会いたかったのかな、と。あのままお金をもらってたら、彼女たちの関係は変わっていたのかな。

 

最後にタイトルについて。いい感じに意味不明だな、と思う。エスキモーとの戦争というのは架空の戦争なんですか?ですよね?調べてみたけど特に何も出てこなかった。こういうときにまた自分の無知を恥じる…歴史は、歴史だけはちゃんと勉強しよ。

戦争に行く老人たちのことをジニーは知らなかったみたいだけど、じゃあ「戦争」っていうのは比喩表現か何かなのかな?フランクリンに「あなたは行かなくてすむよね」と言ってしまったことを申し訳なく思うジニーとそれに対して「わかってる」と即答するフランクリン。それってフランクリンは本当は戦いたかったっていうことなのかな?戦って、死にたかったのかな?