ゆるくいろいろ

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クラシック音楽の壁

このブログで一番書きたかったテーマ「音楽」についてまだほとんど書いていなかったので今日は音楽という言葉で色々ブレインストーミング。音楽の中でもクラシック音楽について少し考えてみようと思う。

 

先日オーケストラのコンサートを生中継で観た知人が「こんな私が聴いて良いものなのだろうか。やっぱり敷居が高いなあ。でもこれで自分にも少し教養が身に着いた気がする。」と言っていたのを思い出して、私は考え込んでいたのだ。

生まれた時からクラシック音楽を聴きながら育った私にとってクラシック音楽はたまに言われるような「この世で一番正しく、他の音楽とは比べようもない程のもの」では決して無く、同時に「私の中での原点であり、これを超えるものはあるのだろうか、と思わせてくれる程のもの」でもある。

 

自分の中でのクラシック音楽が持つ意味はさておき、私にとってはクラシック音楽に「教養のある人しか聴いてはいけない」、「知識のある人にしか理解できない複雑なもの」、などと言うレッテルが張られ、人々が気軽に聴くことを躊躇うことがとても悲しい。

 

しかし何故そのようなイメージが持たれるのだろうか。ロックやポップなどと比べると「古い」(歴史が長い)音楽だからなのか、貴族が聴いていた音楽だからなのか。確かにコンサートへ行くと守らなければいけないマナーも多いかもしれない。ドレスコードもある。しかも交響曲とかになると曲の長さもあるのでかなりの集中力が求められる。考えてみると実際コンサートホールで演奏を聴くことはどんな人にもできることでは無いのかもしれない。

 

けれど私は伝えたい。クラシック音楽にも可愛い曲、面白い曲、魂が震え上がるほどかっこいい曲があるということを。聴いていて「あーーここ!!ここが大好きなのよ!」と叫ばざるを得ない瞬間だって沢山ある。爆笑する瞬間だって、涙を流す瞬間だってある。寧ろクラシック音楽こそが表情豊かな音を集めて凝縮されたようなものだと私は思っている。

なんの歌詞も無くても、誰かが歌っていたとして何を言っているのか理解できなくても、「何となく分かる」、「何となく感じる」ことができるのだ。それほど一つ一つの音に、リズムに、ちゃんと丁寧にメッセージがこもっている。偶然生まれた音なのではなく、作曲家が敢えて加えた音なのだ。そこがまた「難しい」と思われる原因でもあるのかも知れないが、別に全てを理解することが目的ではない。音楽を楽しむのが真の目的なのではないだろうか。そして詳しい知識など無くても、何世紀も前、作曲家たちはこんな素晴らしい音楽を生んだということを知るだけで、他の音楽ももっと楽むことができるのだ。

今はコンサートに行かなくてもインターネットや配信サービスを通してどんな音楽も聴けるので、まだちゃんと聴いたことが無い人には是非クラシック音楽にも一度触れていただきたい。

 

結局クラシック音楽の素晴らしさをその類のものに全く親しみが無い人に伝えることができるのは先生のような存在なのではないだろうか。そういった存在によってこの壁が少しでも無くなりますように、と願う。そして、自分もいつか誰かにとってそういう存在になれますように、とも願う。

 

音楽に限らず、どんな物にも興味を持てるような、ひろい心を育てたいものだ。