ゆるくいろいろ

少し丁寧なメモ

サリンジャー バナナフィッシュ日和

やっぱり私は俗に言う「夜型」なのか、ブログも勉強も練習も夜にならないと捗らない。というかモチベーションが湧かない。明日も早起きしないといけないのに。今やってることよりもやるべきことがある筈なのに。でもそんなの、いつだっていくらでもあるよね。

 

かなり前に買ったサリンジャーナイン・ストーリーズを暇だったので読み返した。そもそも最後まで読み終わってなかったけど。柴田元幸さん訳の日本語版。最初から読みたかったからまずはバナナフィッシュ日和を。前は何回かに分けて読んだ気がするけど、今度は一気に全部読んだ。

 

とりあえず今の感想は「オリジナルが読みたい!!」。翻訳が悪かったとかじゃなく、むしろ逆だと思う。英語でも読んでみたくなるような、翻訳だった。

ただ、英語の和訳において思うのが、私はネイティブスピーカーではないけど普通の日常会話とそれより少し難しいレベルの英語ならほとんど問題なく理解できて、もうかなり長い間英語に触れてるから、自分の中で勝手に英語の言葉とかフレーズのイメージというか色ができあがってしまってる。そのせいで他の言語の翻訳がその自分のイメージと違うと違和感を感じてしまう。ということ。

つまり、ハリウッド映画を日本語吹き替えで観るときのあの「日本語ならでは」の陽気なアメリカ人男性の描き方。ああいうものを何となく変だな、と感じてしまう。あれはアメリカに住むアメリカ人なんじゃなくて、「日本人から見たアメリカに住むアメリカ人」なんだよね、当たり前だけど。

このテーマも面白いけど、それについてはまた別の機会にでも。とりあえず、ナイン・ストーリーズを全部読み終わったら近々オリジナルも読もう。

もちろん翻訳を通してでもサリンジャーの小説の美しさはとてもよく見えた。説明的というか、こういうときに良い日本語訳が思いつかない、つまりdescriptive、な文章がほとんどなのが私はいいな、と思った。やっぱり語り手って小説を組み立てるとても大事な部品の1つなんだなあ。バナナフィッシュ日和では語り手が登場人物の気持ちとか精神状態をほとんど明かさないお陰で、読者がすごく自然に自分の解釈を挟んで話に溶け込められる。

私はあまりたくさん考えながら読むタイプではない。いろんな情報の解釈も、もちろん無意識にはしてるんだろうけど、頻繁に立ち止まって考察しながらは読まない。だからなのか、読み終わったあとに「あー、あれはこういうことだったのか」みたいな瞬間がたくさんあって、その時間がすごく好きだ。

特にこの話はあの結末があってこそ、その前に描かれたもの全てが繋がっていくような感じがした。何も語らないことの美しさ、なのかな。

 

読みたてほやほや、感じたてほやほやの状態でこうやって思ったことを言葉にする楽しさを発見。次のストーリーの感想も、余裕があったらここに書こうかな。