ゆるくいろいろ

少し丁寧なメモ

mainstream mediaと美について

自分にぴったりなスキン「ケア」を見つけた。

 

昔から敏感肌でアトピーも酷いから、ずっと色んなクリームや薬を塗っていたけど、その割にはあまり効果が無くて、ニキビにも悩んでいた。

で、最近ふいに「何も肌に乗せないようにしてみよう」、と思った。

 

洗顔材もほとんど使わず、化粧水も辞めた。保湿クリームだけ塗るようにした。

そしたら、肌の状態がみるみる良くなって、今ではニキビはほとんど消えたしアトピーも落ち着いている。

つまり、ケアしないこと、それが一番のケアになる時もあるのだ。

いつも「これをこうするには何を使えばいいかな」という思考になりちだけど、足し算よりも引き算をしたほうが有効だという時もあることを忘れてはいけないのだ。

とにかく量にこだわる今の世の中でそれを実現するのは中々難しいが。 

 

携帯を持っていると嫌でも一般的に美しいとされる顔立ちの人がたくさん目に入る。そして嫌でも自分をそういう他人と比べてしまう時もある。

けど、今の時代、ほとんどの写真は加工されるのが当たり前なのだ。情報も顔も、盛るのが当然。それも忘れてはいけない。そして、今「美しい」、「可愛い」とされているものは数年後にはもう価値を持たない。

そんな移り変わるトレンドに合わせて生きるくらいなら、今も昔も変わらないものに沿って生きたいと私は思う。

そのいつの時代も変わらない美しさというのが優しさや聡明さといった、内面の美しさなのではないのだろうか。と、つくづく思うのだ。

 

自分が幸せかどうかを決めるのも自分の見た目ではなく心なのだから、たくさんの幸せを感じられるような心を育てるのも大切なはず。きっと。

 

 

じぶんの成長日記

はじめてのブログ開設。

 

特に語りたいテーマなどは無く、ゆるく、自分のペースで進める。

 

いろんなSNSを利用して日々言葉を投稿してるけど、どうにも私の考えというものをあまり発信できない。

だって、何かについて熱く語ったりするのって何となく恥ずかしくない?

「すごい」とか「たのしい」で済む話をわざわざ細かく説明したりするのって…それが求められる場所ももちろんあるけど、音楽とか美術とか、元々言葉で表せないものを違うものに乗せて表現しているはずなのに、何故それをまた言葉という枠の中にはめようとするのか。

日本人の国民性なのかな、人間の本能なのかな、なんて思いながらも私には全く理解できなかったのだ。

 

けれど最近ようやく何かが見えてきた気がする。

思っていることを言葉にすることって大事だ。

今でもひとつの曲を音楽理論を用いて砕いて、歌詞も細かく説明して、…みたいなことはピンと来ないが、少なくとも自分が思うことを相手に伝えることは本当に大切なんだ、って気づいた。

当たり前のことかも知れないけど、私はその「伝える」ということが笑ってしまうくらい苦手なのだ。まず自分が何を思うか、この気持ちの正体は何か、そこから始めないといけないからね。

 

急に話が変わるけど、今 Jacques Loussier の Play Bach Aux Champs-Elysees を聴きながらこれを書いているんだ。(accentってどうやって入力するんだろう)

バッハとジャズの融合、というアイデアがまず素晴らしい。バッハほどアレンジが効く作曲家って居るかな。きっと元の曲の完成度が高いから、何を加えても、引いても、崩れないんだろうな。

 

こういう音楽を聴いているとやはり、「言葉って必要か??」という疑問に脳が支配されてしまう。

けれど、私が言葉足らずなせいで私の周りの人間は迷惑しているんだ。しかも自分も、多分、迷惑してる。気づかなかったけど。

だから「もっとちゃんと伝えればよかった」、と後悔しないように思考の言語化の練習をここでしたい。

 

他のSNSだとここまでの長文は書けないし、どうしても、いくら足掻いても、「どう思われるか」に気が行ってしまう。だから誰も知らない、誰にも知られていないここでひっそりと書こう。

別に後ろめたいことなんて何も無い。自分の気持ちの問題なんだ。

そして、こんなブログ投稿なんてそう長くは続かないだろうから、いつか自分の過去の投稿を読み返して、成長を感じたい。

なんて贅沢なんだろう。そんなことしなくたって感じられるだろうに。

きっと私はこんな恥ずかしい文章をこの世に晒す言い訳が必要なのだ。

 

お腹が空いたからなにか食べる。